×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

神奈川県無形民俗文化財指定

獅子舞の記録

    古老の伝える処によれば慶長の頃、疫病退散を願い村中戸毎に
   厄除けの為舞回った。その後毎年8月15日の行事として長い
   間続けてきた。然し幾星霜の内には農村の事情も変わり、舞う
   人たちの気心にも盛衰あり舞人の絶えた時期もあり是政より
   師を招いて再興したとも伝えられているが定かでない。
   明治、大正の頃は上鉄青年会が管理運営しており、毎年8月
   15日保管所であった宗英寺から舞始め、各戸を巡り鉄神社
   で舞納めた。
   8月15日は田舎のお盆なので、上鉄の名物となり親戚縁者は
   勿論近村の人々まで見物に見え、神社境内は非常に賑やかだった。

   大正の不況時代一時中止していた事もあった。昭和の始め頃
   新たに練習をはじめた青年が多く、一時盛んになったが、支那
   事変から大東亜戦争になり止むを得ず中止していた。
   戦後暫らく世上が落ち付き横浜市の開港100年祭に参加したのを
   期に再起した。

   1958年(昭和33年)5月10日 横浜開港100年祭
   (みなとまつり)に参加。関内から伊勢佐木町通りを舞歩き
   郷土の民俗芸能研究者の人々に多大の感銘を与えた。参加関係者
   20余名、渉外関係責任者志村富次、鈴木勇

   1958年(昭和33年)6月15日 古民謡協会主催による
   国際文化会館で公演 半井横浜市長始め幾多の名士観覧。また
   同日神奈川県教育委員会に文化財の指定申請書を提出(町会長
   澁谷敬三名儀)

1960年(昭和35年)5月12日 南区公民館でNHK
ラジオ関東、その他へ紹介上演。

1960年(昭和35年)10月4日 鐵神社祭礼で舞を披露。
下記諸先生方の観覧あり。
神奈川県文化財専門委員 永田衡吉先生
同   (武相学園々長)石野瑛先生
同           鈴木重光先生
国の文化財委員     本田安次先生
同           宮尾シゲオ先生
県立図書館視聴覚資料課 三森重夫先生
相模民俗学会      和田正州先生
同           中村亮雄先生
横浜市大教授      横山孝次郎先生
成城大学教授      大森時彦先生
その他神奈川新聞社、ラジオ関東の関係者、尚県立図書館にて
8ミリ映画収録。

1964年(昭和39年)11月2日 桐蔭学園竣工落成式 式典に参加し、獅子舞を披露する。

1969年(昭和44年)11月2日
桐蔭学園高専祭に「郷土文化財」資料として展示する。

1977年(昭和52年)2月8日
   横浜市教育委員会文化財課へ「鉄神社に伝わる無形民俗文化財の
   現況について」古典獅子の文書提出。

1984年(昭和59年)4月1日
   永年古典獅子の保存育成に尽力した人に上鉄部落会々長より
   感謝状授与。鈴木国之 渋谷重作 鈴木時次郎 志村富次
   鈴木勇
   
1986年(昭和61年)10月 祭礼獅子舞奉納。
1987年(昭和62年)10月 祭礼獅子舞奉納
   同年11月24日 宗英寺本堂新築落慶式 式典に獅子舞い奉納す。

奉安所(倉所)の沿革

 
   鉄に伝わる古典獅子の獅子頭、その他の諸道具は何処に保管されて
いたか。
大正の頃は宗英寺に置いてあった。獅子頭及び太鼓は昔で言う
長持箱に入れてあった。そして重い蓋がしてあった。宗英寺の
須弥壇の裏側に保管されていた。その昔上鉄村へ伝えられてきた頃は
「ながや」(鉄町1724)に保管されていたと伝えられているが、
何時頃から宗英寺へ移されたか分からない。その後長い間宗英寺に
保管されていて、毎年舞始めは宗英寺からだと言われていた。
昭和の戦争中は獅子舞いの出来る状態ではなかった。時代も変わり
宗英寺の住職も変遷があった。戦後1958年(昭和33年)横浜
港の開港100年祭(みなとまつり)に獅子舞いの関係者の協力
を得て志村富次、鈴木勇両氏が関係機関と連絡を取り5月10日
20余名参加して、横浜市内の目抜き通りを舞歩き、文化財関係者
の注目を集めた。その後古典文化財関係者の来訪も多くなり、
度々上演や見聞に来られるので、手入れ管理の関係で志村富次氏
 宅に保管して置いた。
1965年(昭和40年)頃より獅子舞の幾運に恵まれず、鐵神社
の大祭日に展示する程度となった。
暫らくの期間は門外不出となった。民俗芸能の文化財の公共物を
志村氏は何時までも個人宅で預かっていることを遠慮して適当な
処へ納めたいと申し出があり、過去の経緯等から宗英寺に保管する
事の承諾を得て1985年(昭和59年)1月に古典獅子保存会
の財産(86126円)を宗英寺へ奉納して保管を依頼した。
その後古典獅子の維持と上鉄地区の住民だけで行うことは
困難となり、広く同好者の後援を得るためには寺に関係なき人達
も含めるので宗英寺の保管場所が不自然となってきた。そこで
他へ移すことで関係者協議をした。
それより早く、1975年(昭和50年)頃より後継者育成の事で
当時の部落会会長 黒沼勇二氏を始め関係者が後援会を設立して
若い人たちを育成する為努力して1980年(昭和52年)6月に
後援会の設立を見たが、その後新人の意見調整が成らず、延び延び
になっていたが折に触れ機会のある毎に話題に載せた。1987年
(昭和62年)11月部落会会長が平瀬氏の代になり機が熟して
鉄古典獅子保存会の役員が再度選任され、先輩後輩関係者一つになり
協力して軌道に乗せることが出来た。そして1985年(平成元年)
9月25日、保存会会長の努力により町内の協力者の浄財を得て
鐵神社境内の一角に立派な奉安所が建てられて古典獅子諸道具は
此処に安置された。